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富岡製糸場が世界遺産になった理由は? [ニュース]

21日に「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)がカタールのドーハで
開かれていたユネスコの世界遺産委員会で世界文化遺産に登録することが
決定されましたね。

富岡製糸場が世界遺産になった理由は


富岡製糸場が日本が近代工業化世界に仲間入りする鍵となったことが
高く評価をされてユネスコに登録されたんですね。


http://matome.naver.jp/odai/2134570276060158601より  http://www.asahibeer.co.jp/area/03/10/activity/010/より

徳川幕府は寛永年間以降固く守ってきた鎖国令の一部を解除して
安政6(1859)年、横浜・長崎・箱(函)館の三港を開くことにしました。
一方、新しい市場を求めた当時のヨーロッパ諸国は、東アジアへの進出を図っていました。
また、フランスやイタリアなどの養蚕の盛んな国々で蚕の病気(微粒子病)が猛烈な勢いで蔓延し、
繭の生産が壊滅的な打撃を受けていました。この影響で、開国直後から蚕糸類(生糸と蚕種)は、
輸出品の1位を占めたのです。
しかし、不当な利益を得ようと粗悪品やにせ物を輸出する人が増え、いつしか諸外国からの不評を
買うようにまでなってしまいました。
これを受けて政府は、明治3年の2月、①洋式の器械製糸を導入する。②指導者は外国人とする。
③工女を全国から募り、技術を習得させて帰郷後は器械製糸の指導者とする。
などを企図して器械製糸工場を築くことにしたのです。


明治3年、明治政府に雇われた横浜のフランス商館勤務のポール・ブリュナ(Paul Brunat)らが
工場を設立するため適地を捜しました。養蚕の盛んな武蔵・上野・信濃の三国を視察し、
上野(現在の群馬県)の富岡に場所を決定しました。

そして
明治5(1872)年、模範器械製糸場が日本で初めて富岡に設置されました



登録された理由は


ほぼ完全な形で残る19世紀後半の工場は珍しく、世界的にも例がなく
明治政府がつくった官営工場の中で、ほぼ完全な形で残っているのは富岡製糸場だけである。


ヨーロッパの技術と日本独自の工法が融合してできた世界最大規模の製糸工場だった。


安価で良質な生糸を輸出し、高級繊維の絹をより身近な存在に変えた。
高品質に重点を置いた生糸は海外でも好評だった。


等のようですね。




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